セブ島 Cebu Island
概要

セブ島は、フィリピン中部のヴィサヤ諸島の南北225kmにわたる細長い大きな島で、面積は4422平方キロメートル、周囲はマクタン島、バンタヤン島、マラパスカ島、オランゴ島など小さな島々に囲まれています。東にカモテス海とカモテス諸島をはさんでレイテ島、ボホール海峡を挟んでボホール島、西にタノン海峡を挟んでネグロス島、南にシキホール島、北にヴィサヤン海を臨みます。全島とその属島がセブ州で、島の東海岸中央部にある人口約80万の州都セブをはじめ6つの都市があり、マニラ首都圏(メトロマニラ)に次ぐ大都市圏、メトロセブを形成しています。州全体の人口は385万人(2007年NSO発表)で、セブ市798,809人、ラプラプ市292,530人、マンダウエ市318,575人が人口密集地となっています。セブ国際空港はセブ市と橋でつながる隣の島、マクタン島ラプラプ市にあり、マクタン島は風光明媚で一般にセブリゾートは、マクタン島を指す場合が多く、外国からの移住者も多い所です。またセブ市は最初にスペインによる植民地化がされた植民都市でありその名残が随所に残り、昔ながらの大きな市場カルボンマーケットがあるほか、巨大ショッピングモールやリゾートホテルがセブ市やマクタン島に多数あります。

地理

セブ島は長細い島で、両側を海峡に囲まれています。島の中部の東海岸に接する小さな島がマクタン島で、国際空港や経済特区、ホテル、ショッピングセンター、美しい浜辺やダイビングスポットがあります。島の北側にバンタヤン島、ダアンバンタヤン島があります。セブ島は大理石の高原地帯と海岸部の平野に分かれ、山々は1,000mに達します。大きな平地は島の北部やセブ市周辺にみられます。州政府は、観光客や工業投資を誘致するためのインフラ整備に注力しています。特にマクタン島はセブ島とマクタンマンダウエ橋とマルセロフェルナン橋の2つの橋でつながっていますが、使い勝手の悪さから3本目の橋を掛けるか海底トンネルを作る計画があります。

民族

セブの住民はセブアノ Cebuanos と呼ばれ、ビサヤ人、中国人、スペイン人、ネグリト人の混血の子孫です。セブアノの文化はゆったりしており、人々は親しみやすく、スペインの伝統を今に残しています。

言語

セブの地元の言語はセブアノ語(Binisayang-Sinugboanon)で、ヴィサヤ諸島やミンダナオ島の大部分で共通語の役割も果たしています。セブアノ語の話者は2千万人にのぼり、セブ島、ボホール島、レイテ島西部、ネグロス島のネグロス・オリエンタル州、ミンダナオ島の北部や東部ほか大きな町で共通語として使われています。またイロンゴ語やワライワライ語など他のヴィサヤ系言語もある程度理解できるほか、英語やタガログ語もよく通用します。

宗教

セブ島民の主な宗教はローマカトリックで、セブの守護聖人は、サント・ニーニョ・デ・セブ(幼いキリストのこと)です。サント・ニーニョの像は、フィリピン最古の教会であるサント・ニーニョ教会に安置されています。この像は、マゼランがセブに到達した時に、王ラジャ・フマボンの妻に相互の同盟を記念して手渡したものです。そして、王と領民たちは、洗礼を受けキリスト教徒になりました。王たちの洗礼はセブ最大の文化的事件であり、これを記念したシヌログフェスティバルは、世界中から観光客が訪れるセブ最大の祝祭となっています。サント・ニーニョ教会のほかに、メトロポリタンカテドラル、サン・カルロス教会など多くのカトリック教会が立ち並んでいます。ほかにもプロテスタント教会や中国系人の道教寺院、ミンダナオ島からの移住者によるモスクも点在しています。

経済

セブの経済は、ビーチリゾート、カジノ、ショッピングなどの観光業、様々な中小産業、小規模な商業が中心ですが、近年は家具製造業の発展し、家具業の首都といわれるまでになりました。セブ州通商産業部は、輸出可能な家具の製造企業の育成に取り組んでいます。セブ島は家具の原料となる木材が乏しく、他の島や国外からの輸入に頼っています。また、マクタン島には輸出経済特区が二つあり、企業誘致に取り組んでいます。家具製造のほかには情報通信産業やソフトウェア産業に注力し、フィリピン中部のIT都市になりつつあります。ソフト制作やアウトソーシングを行う企業がセブに本社を置き、アメリカなどの企業からコールセンター業務を請け負っています。セブ市はこの情報通信分野での成長を目指し、東南アジアのソフトウェアや電子サービスのハブ構想を政策に掲げています。

歴史
スペイン人到来以前

当時、セブは、ズブ Zubu あるいは スグボ Sugbo と呼ばれ、明、シャム、アラビア、マレーなどとの交易の拠点として栄えました。1521年3月16日、ポルトガル人の航海士フェルディナンド・マゼランは、セブ島に到着しました。彼はスペイン王の命を受け、探検の途中で欧州でも有名なモルッカ諸島への西回り航路を開拓し、島々の実態を調べ東方にスペインの領土を広げることが目的でした。マゼランのマライ人奴隷エンリケは上陸後、言葉がかろうじて通じると告げます。マゼランはかつて船乗りとして訪れたマライ語圏に戻ってきたことで、世界を一周したことを悟ります。マゼランはセブの領主、ラジャ・フマボンを説得し、スペイン王カール5世への忠誠を宣誓させます。スペイン人のドミニコ会修道士が同乗していたことで、この航海はフィリピンへのキリスト教布教の始まりとなります。

4月14日、マゼランは大きな木の十字架をセブの海岸に立て、400人ほどのセブ人が洗礼を受けました。セブの王と王妃も洗礼を受け、カルロスとフアナという洗礼名が与えられます。後にセブの守護聖人になる幼きイエスの像、サント・ニーニョ像もスペイン側とセブ側の平和の証として王妃に手渡されました。セブでの宣教と同盟の成功に奮起したマゼランは隣のマクタン島との海峡を渡ります。マクタン島にはムスリムの領主(ダトゥ)ラプラプがいました。

4月27日、マゼランは戦死し、部下達は敗走してしまいます。歴史家で年代記作家のアントニオ・ピガフェッタは、マゼランの部下達がスパイスや宝石を島民に差し出しても、マゼランの遺骸は取り戻すことができなかったと書き残しました。後に、ラプラプはフィリピン人の侵略者に対する抵抗の象徴となり、現在はマクタン島にマゼランの布教をたたえた記念碑とラプラプの戦いをたたえた記念碑が隣同士に建っています。マゼランの部下、フアン・セバスティアン・エルカーノは指揮を引き継ぎ、破損の激しいコンセプシオン号を焼き捨て、2隻になった艦隊を引き連れてスペインに戻ります。彼らはセブに来た時の西回り航路とは反対方向の東回り航路をとったため、初めて世界を一周した者となりました。

スペインの征服と植民地時代

マゼラン艦隊の生存者は、スペイン帰国後、国王に東方の諸国のことを報告しました。後に続く探検者が航海に送りだされましたがすべて失敗に終わってしまいます。マゼランのセブ島到着から44年後の1565年、征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、500人の武装した兵士と聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士を連れてマリアナ諸島およびヴィサヤ諸島の各島を経てセブ島に到着、スペイン王の王冠のもと島の支配を進めると宣言します。レガスピたちはラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の砦を砲撃しスグボの町を破壊しました。後に、彼らは町を再建改名し(ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス:イエスの最も聖なる御名の村)として教会や大学を建設しました。

1569年、この町はスペイン議会 によりフィリピンに成立した最初の入植地となります。レガスピの部下たちは更に兵士を率い、マニラを襲って征服しました。1571年8月14日、セブ(ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス)はマニラの司教区から離れ、独立した司教区となります。レガスピが同年、マニラに新たに確立した入植地へ本拠を移した後も、彼はセブを見放さず守備隊と知事を雇って町を管理させ、兵士の半分はセブに残しました。以後、セブはスペインの植民都市としての繁栄が続きました。3世紀の後の1898年6月12日、スペインの支配は崩壊し独立が宣言されますが、アメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続きます。1901年、セブは町(municipality)となり1937年2月24日、市(chartered city)となります。

15~19世紀のフィリピン貿易

スペイン統治下で、メキシコから輸入した銀や、東南アジア各地や中国の産物を中南米に運ぶ拠点として貿易が盛んに行われました。フィリピンでは、マニラガレオンと呼ばれるフィリピン製の大型帆船がたくさん建造されてました。

第二次世界大戦

太平洋戦争中の1942年4月、日本軍がセブ島に上陸しました。日本軍による占領の時期、フィリピンで最も人口が密集したセブ島は、重要な物資補給の軍事拠点でした。1945年3月、占領から3年後にアメリカ軍が再上陸し、軍備の劣る日本軍はセブ島をアメリカ軍に奪回されてしまいます。制海権を握られた日本軍は他の島への退却をあきらめ山岳部にこもり地元民によるゲリラ部隊や米兵との間での戦闘を続けます。やがて終戦になり大勢の日本兵が投降しました。

第二次世界大戦後

戦後、セブ島は観光地として欧米や日本からの観光客で活気を取り戻します。またフィリピンの中でも多くの外資系企業が進出した地域でもあります。 1970年代から1980年代の政情不安や共産ゲリラ活動の時代には、ゲリラの隠れられる山の少ないセブ島は比較的安全な場所として進出先に選ばれてました。外資の影響でフィリピンでも恵まれた地域であるセブ島ですが、近隣の島からの貧困層の流入が大きな社会問題となっています。

観光スポット

○マゼランズクロス Magellans Cross
○フォートサンペドロ要塞 Fort San Pedro
○ラプラプ記念碑 the Lapu-Lapu Monument
○リロン灯台 Liloan Lighthouse
○マンダウエ-マクタン橋 Mandaue-Mactan Bridge
○デルサントニーニョ大聖堂 The Basilica Minore del Santo Nino
○セブ博物館 Cebu Public Museum
○道教寺院 Taoist Temple
○プーシアン寺院 Phu-Sian temples
○ヘブンリーテンプルオブチャリティー Heavenly Temple of Charity
○カワサン滝 Cawasan Falls
○セントラルセブ国立公園 Central Cebu National Park (CCNP)
○Sudlon National Park (SNP)

セブ島マップ Fuente Osmena Circle 起点


セブ市オフィシャルサイト

Cebu Island

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ミラクルヒーリングパワー マゼランの十字架
十字架の断片を煎じて飲むと万病に効くなどとよく紹介されてますが、薬というより神を身近に感じるためのお守りといったほうが適切かも知れません。中には薬として飲んだ人もいたかも知れませんが... 最初は、信者達が削って記念に持ち帰ったことが始まりで、それがヒーリング(神のご加護、自己回復力、癒し、Miraculous Healing Powers)効果があると大変評判なったとフィリピンではいわれています。現在は、レプリカが展示されています。

   

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